水谷一|活動の備忘録(2019-2020)


経歴・活動一覧 [PDF, 355kb][WORD, 31kb]


2020(令和2) グループ展「VIVIDOR —人生を謳歌する人—」(作家29組による映像作品展)azumatei Project(神奈川県)10/24-11/15
2020(令和2) グループ展「するがのくにの芸術祭 富士の山ビエンナーレ2020」旧五十嵐歯科医院(静岡県)10/24-11/23
2020(令和2) グループ展「モノクロームの欠片」(企画:東亭順)azumatei Project(神奈川県)6/6-14
2020(令和2) 独演+ワークショップ的対話実践「A.N.Y Talks - Vol.9 アーティストと地域 -創造の可能性について-」S.Y.P Art Space(東京都)1/18
2019(令和1) グループ展「距離と伝達」(「引込線/放射線」サテライトイベントとして開催された展覧会/企画:うしお)Gallery N(愛知県)12/14-28
2019(令和1) 個展「Behavior as Nature」Künstlerhaus Bethanien(ドイツ、ベルリン)10/2-11/27
2019(令和1) 滞在「Künstlerhaus Bethanien」(ドイツ、ベルリン)※平成30年度 文化庁 新進芸術家海外研修制度の助成による 1/1-12/15







透明な光   Transparent Light

2020年制作、配置:直径15センチの石膏製の球体×4個、場所:国指定有形文化財 旧五十嵐歯科医院 二階、展覧会:するがのくにの芸術祭 富士の山ビエンナーレ(静岡県)


『透明な光』は四つの石膏製の球体とテキストにより構成される作品です。白い石膏球を用いる作品形式は水谷が2008年から断続的に実践しているシリーズであり、〈ホワイトキューブの反転〉の着想がそのルーツであると言います。ホワイトキューブとは白い壁で囲われた部屋の意であり、世界中の現代アートの美術館やギャラリーで採用されている展示室の形式です。ホワイトキューブはどんな表現に対しても中立であると考えられています。無個性の象徴であり、展示される絵画や彫刻の背景として平等で、作品の邪魔を排除し、あらゆる作品表現を鮮明に見せるとされています。つまり〈ホワイトキューブの反転〉とは白い球体を特定の場所に置く事によってその場所そのものを主人公として、見られる対象にしようというアイディアであるわけです。蟹缶の蟹を食べ切って空になったその缶の内側にラベルを貼り替え蓋をし宇宙を封じ込めた前衛美術家、赤瀬川原平の『宇宙の缶詰』(1964)の逆の発想と言えるかも知れません。さて今作ではどうでしょうか。『透明な光』とは一体何を指す言葉なのでしょうか。有形をすり抜け、空間に同席する無形の何かを照らす光、或いは濁りのない光の存在について、思いを馳せてみてもいいかも知れません。








深淵をのぞく   Gaze into the Abyss

2020年制作、配置:額縁×2枚・木彫りの熊、場所:国指定有形文化財 旧五十嵐歯科医院 土蔵、展覧会:するがのくにの芸術祭 富士の山ビエンナーレ(静岡県)


『深淵をのぞく』は一見何も美術品らしき物の見当たらない物静かな蔵の一室とアーティスト自身によるテキストによって構成され、来場者はこの室内でそのテキストを読みながらこの部屋に起こっている出来事を一つ一つ確かめていく事で鑑賞体験を得ます。水谷は会場内部の要素を精査し、室内に額縁二枚と一体の木彫りの熊を持ち込み時間をかけて慎重に配置しました。いまだ収束の目処の立たない新型コロナウィルス流行に端を発する状況下において、世界中の地盤がひどく不安定なものとなってもうだいぶ経ちます。こうした世情の中での芸術祭、富士山麓地域、文化財である端正な建築と美しい庭、そしてこの木造の蔵、幾重にも入れ子状にフレーミングされた或る一つの終着点としての額縁にはやはり何も作品らしき物は入っていません。額縁の基底材である板材の木目がどこか古神道における神籬(ひもろぎ)を連想させます。事物の主従は常に影響しあい、またどちらかだけではけっして存在せず、主である何かもまた別の主にとっての環境(従)の一部に過ぎません。場に宇宙を見るような水谷のテキストを伴って過ごすそれぞれのここでのひと時それそのものを深淵と捉える事は可能でしょうか。








STAY HOME & 4'33"

2020年制作、4分51秒の映像作品、展覧会:VIVIDOR - 人生を謳歌する人 -(Azumatei Project、神奈川県)

薄暗がりの室内、横倒しになったiPhoneがタイマー機能でカウントダウンをしています。この映像作品ではiPhoneのデジタル表示がただカウントダウンし、カウントダウンが終わると同時に作品が終わります。タイトルになっている「STAY HOME」も「4'33"」も特定の時代背景や教育環境の内で特異な意味を付与された言葉です。2020年4月以前の「STAY HOME」とコロナ禍におけるそれでは全く意味の通り方が違いますし、ジョン・ケージを知らない子供にとっての「4'33"」とケージ経験後の新しい耳によるそれとではイメージする時間の濃密度が異なります。さてこの映像は「STAY HOME」中のある任意の「4'33"」を抜き出しています。映像の撮影者は作品画面に映り込んだりはしませんが、きっと撮影の裏でiPhoneのタイマー機能を作動させ「4'33"」の撮影の間カメラのそばで息を潜め、真空の時間を過ごしています。








銅製薬壺(推定室町期)
Copper medicine pot assumed to have been made during the Muromachi period

2020年制作、素材:木炭・木炭紙(65×50cm/フレーム外寸:80.3×65.3×厚2.4cm)、展覧会:モノクロームの欠片(Azumatei Project、神奈川県)

新型コロナウィルス流行下おける緊急事態宣言中(5月)に制作されたデッサン。闇の中に置かれた薬壺。コロナ流行に伴い開催時期延期された展覧会にて発表。








表現の不自由   Non-Freedom of Expression

2019年制作、構成要素:未使用のスケッチブックとテキスト、展覧会:距離と伝達(ギャラリーN、愛知県)





以下、作品『表現と不自由』の一部であるテキスト

 ここに未使用のスケッチブックがある。38×30×2.1センチ。一年間の期限で滞在しているベルリンにて今年(2019年)2月に購入したものだ。画材や様々な雑貨、工作系の素材や道具を販売する明るく開放的な店舗にて、価格は16,9ユーロ。Modulor(モデュラー)という名のここはアート系の物づくりに関する専門的なもの、そして広く一般の生活に彩りを与える創意を刺激する数々の品揃えを誇り、広い店内はいつも多くの人で賑わっている。ベルリンには他にboesner(ボエズナー)という画材専門の大型チェーンが三店舗あり、私の個人的関心からはそちらの方が吟味に足る数々を並べていて、価格も総じて安かったが、Modulorは私の住まいのあるトルコ人街から歩いて十分程度のごく近所にあり、boesnerの三倍の頻度で足を運んでいた。提示すると全ての商品が一割引になる、私がアーティストであることを証明するカードを取得していたことも、私の足先がModulorに向きがちな理由の一つになっているように思う。
 日本の画材店とはどちらの店のどの商品も趣きが少しずつ異なっていて、キラキラと魅力的に見え、ベルリンにやって来た当初はそれは心浮き立ったものだが、どうも購入してみるとどう扱ったら良いのか戸惑いわからなくなる物が多い。その一つがこのスケッチブックである。日本ではお目にかかったことのない、画用紙の束を挟み込んでその状態を守る表紙と裏表紙のしっかりと分厚いネズミ色の厚紙や、最小限とも思える簡潔な背表紙、そして縦横の比率。私の慣れ親しんだ物とのその違いはとっても微々たる微妙でささやかなものかも知れないけれど、しかしそれでも恐らくその微妙さ、ささやかさ故に、出会った当初は新鮮で格好良く感じたし、今もその印象はそれほど変わらない。
 5月、ベルリンから電車でおよそ三時間半ほど行った田舎町、ハルバーシュタットの廃教会を訪れた。発明家の父の元、1912年9月5日にロサンゼルスに生まれ、ニューヨークで1992年8月12日、脳溢血で亡くなったアメリカの音楽家であるジョン・ケージが作曲した『オルガン2/ASLSP』、この曲を2001年より639年間かけて演奏するという壮大なプロジェクトの実見。そこにこの三時間半の目的はあった。ケージの死後、ケージによる指示「ASLSP=As Slow As Possible」を元に計画、実施されている悠久とも思える時間を抱き込んだ企画だが、私にはその長大な演奏時間はあまりに途方もなく想像が追いつかない。その反面、正に教会内部に響き渡る和音によるドローン(変化の無い長い音)、この一瞬にこそ悠久の存在があると感じた。



なにも書かれていない一枚の紙を—マラルメの白いページ—を眺める場合、それを沈黙に譬えることができるでしょう。ちょっとしたしみやかすり傷、殆ど目立たない穴、ごく小さなきずやかすかな汚れによって、沈黙が存在しないことがわかる。〈マラルメの眩暈〉は必要ないのです。

引用元:『ジョン・ケージ —小鳥たちのために—』 ジョン・ケージ/ダニエル・シャルル 著、青山マミ 訳(青土社)

 ケージがこう言うように白い紙はすでにそれだけで情報の宝庫であり、沈黙は存在しない。ハルバーシュタットの『オルガン2/ASLSP』には数ヶ月間に渡る休符も存在するが、休符もまたあの『4分33秒』と同様に沈黙を意味しない。新品のスケッチブックでもまた、「ちょっとしたしみやかすり傷、殆ど目立たない穴、ごく小さなきずやかすかな汚れ」は当然の如くそこに居を構え沈黙を許さず、さらにスケッチブックとはどうあるべきか、そして〈表現の自由〉についての製造元の思想がそこに反映していないわけがなく、物語はポリフォニックに進行する。
 スケッチブックの製造、販売とはきっとそれでしか為し得ない類の〈表現の自由〉の創造と提供である。数ある中から他のどれでもないそのスケッチブックを選び、購入してもらう為に、製造元は知恵を絞る。絵筆を握る全ての人にこのスケッチブックで格別な〈表現の自由〉を謳歌してもらいたい。製造元は販売される土壌において人々が抱く創作への期待も少なからず背負っていることだろう。大抵の人にとってスケッチブックはストレスフリーであって欲しいもの。絵を描くという目的以外のことに気を使ってはいられない。使用者に真っ直ぐに気持ちよく創作に没入してもらうために、全体の重量や大きさ、形状、様々な要素への工夫を凝らす。一体どういった場所で、どんな風に抱え、持ち歩き、どう構えて鉛筆を走らせるか、紙上における絵筆の滑り方はどうあるべきか、こうしたら楽しく絵を描けるのでは?、ああしたら喜んでくれるはず、そうした沢山の思いから出発した幾度とないトライ&エラーのゴールとしてきっとスケッチブックは生を受ける。それは、製造元の美術への思い(或いは偏見)でもあると同時に、時代の創作への思い(或いは偏見)が出した一つの結論でもあるように思う。
 果たして私はベルリンでこのスケッチブックを購入したが、持ち帰って来てみてはてさて何を描こうかと開いたその頃にはもうとっくに沢山の情報、つまり見えざる表現者たちの確固とした意思がこれでもかとそこに詰まっていることを感じられたし、それだけで十分だと思えた。十分に素敵で、十全で、完成している。ほとんど希少な工芸品に接するように白手袋をはめて手に取り、ページをめくり、眺めるだけで満足することが出来る。  スケッチブックが〈表現の自由〉の謳歌を目指すものであるように、現代の美術においてまるで不滅不朽のごとく広く普及している展示室の様式、ホワイトキューブもまた〈表現の自由〉の謳歌を目指すものと言えるかも知れない。壁面が白く塗られたそこでは作品表現は純然たるものとして享受可能とし、白い壁はいかなる思想や感情にも偏らないニュートラルなものと考えましょうという約束事の部屋である。ニュートラル故に世界のどこのホワイトキューブでも一つの作品表現は同じように見える。判断出来る。ここでは環境や状況によってふらふらと作品表現の見え方は変化しない。環境や状況はホワイトキューブによってニュートラルに保たれているのだから。その約束が揺らぐ吊橋の安定をもたらすと共に対象の価格設定をも可能にしているのかも知れない。
 スケッチブックと同様に、大抵のアーティストにとってギャラリーはストレスフリーであって欲しいもの。作品を見せるという目的以外のことに気を使ってはいられない。ホワイトキューブの約束は〈表現の自由〉の謳歌を約束する。その場に作品表現以外の何物も存在しない。無味無臭の無垢な場所。耳を塞ぎ、鼻を塞ぎ、口を塞ぎ、四角い部屋で視覚以外を死角にし、眼球にのみ全意識を集中させるようなその在り方が示すのは、自由の獲得とは制約によって成し得るという一つの答えである。Weblio辞書によれば制約とは「制限や条件をつけて、自由に活動させないこと」。つまり不自由な状況が自由を生むのである。
 一方、作品設営前の空っぽのギャラリー(それがどんなものであれ)に出会う時、それを私はとても美しいと感じる。なぜならこの空間はその施設の美術の解釈、美術への思いそのものと感じられるからだ。壁の厚み、壁面の高さ、壁や天井の白塗りの肌合い、清掃への配慮、照明の機器や配置、或いは汚れや傷への対処の有り様、そうした細々とした全部に、そのギャラリーがどのようなものを美術と考え、期待し、迎え入れようとしているのかが反映されている。それがギャラリーであり、そこにその時代、その場所、そのタイミングでしかない美術がある。そして作品表現を投入するまでもなく当然、その内部に沈黙は存在しない。


2019年11月24日 ベルリン、クロイツベルクの自室にて
水谷 一




Künstlerhaus Bethanien, Berlin (2019)

2019年1月-12月、平成30年度 文化庁 新進芸術家海外研修制度によりドイツ、ベルリンの老舗アーティスト・イン・レジデンス施設「キュンストラーハウス・ベタニエン」に滞在。施設及び周辺状況のリサーチ及び、作品制作、発表を行った。

「キュンストラーハウス」とはアトリエ設備と展示会場を持った公的施設の意であり、また「ベタニエン」とは病院や福祉施設に多い名で、聖書上でキリストが聖母マリアの弟、ラザロの命を蘇らせたエルサレム郊外の土地の名称である。下の写真は帰国前日の12月14日 土曜日、同年1月2日からの住処だった自室をとうとう空っぽにし、清掃も終え、近所の行きつけの暗い暗いバーにて一人飲んだRollberg(ビール)の釣り銭。ここに来て五百円ニッケル黄銅貨舞い込む。